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	<title>国際総合ヨガ協会 &#187; コラム</title>
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	<description>沖正弘 師の研修した沖ヨガを元に、国際的に総合ヨガを普及する団体です。</description>
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		<title>【講師コラム：木暮富美子】　沖ヨガ・遅れてきた人間のつぶやき</title>
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		<pubDate>Tue, 01 May 2012 04:53:07 +0000</pubDate>
		<dc:creator>oishi</dc:creator>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>

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		<description><![CDATA[I.沖ヨガの創設者、沖正弘師の若き日の姿 当時、こちらも新進気鋭の作家としてデビューした大江健三郎氏との対談の中で、こんな事が語られています。Q(大江氏)：「毎日どうように過ごしているのですか。」A(沖師)：「自分の人間 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[
<h1><strong>I.沖ヨガの創設者、沖正弘師の若き日の姿</strong></h1>
<p><strong></strong>当時、こちらも新進気鋭の作家としてデビューした大江健三郎氏との対談の中で、こんな事が語られています。<br />Q(大江氏)：「毎日どうように過ごしているのですか。」<br />A(沖師)：「自分の人間改造に忙しい。毎朝３時に起きて、夜は１２時まで思考と実践につとめる日課。」<br />まさに自己改造に忙殺された沖師のヨガ三昧の日々の様子がありありと伝わってまいります。</p>
<p>　　　 　<strong>こんな沖正弘師にお会いしたかった！！</strong></p>
<p>&nbsp;</p>
<h4><strong>沖師の目指すヨガとは？</strong></h4>
<p><strong></strong>Q(大江氏)：「ヨガとはどんなものでしょうか。」<br />A(沖師)：「頭の中でこねまわす理屈よりも、体の中の真実の働きの欲求に忠実になる哲学。とでもいいましょうか。」<br />Q(大江氏)：「沖さんは日本でインドのヨガと同じ思想をひろめようとしていられるのでしょうか。」<br />A(沖師)：「いいえ。」<br />即座に否定した答えが返ってまいりました。では、何を伝えようとしていらしたのでしょうか。<br />「インド・ヨガの沖式現代的解釈とでもいいましょうか。ヨガは確国とした一つの哲学である事がわかったんです。」<br />Q(大江氏)：「沖さんの場合は…いわば沖思想ということでしょうか。」<br />A(沖師)：「沖式うんぬんではなく、人間そのものをみつめるのがヨガの根本思想です。」</p>
<p><strong>新しいヨガが沖正弘師の生命(いのち)のスガタを通して、具体的な衣をまとい、哲学として確立してゆく、その動的な(躍動)現場に居合わせたかった！！目の当たりにしたかった！！</strong></p>
<p>&nbsp;</p>
<h4><strong>沖達人の語る教育と指導の極意について</strong></h4>
<p><strong></strong>出典は『真智聖愛』第四章「真実の教育の発見」に掲載のお話から。<br />①「いかなる人、いかなる問題も拒否しません。すべてのものを肯定するところから教育が始まるからです。それが御縁だからです。」<br />②「教育は“お前が良くなるためになるなら私は死んでもよい”という態度、姿勢で望む事が大切である。」<br />③「即ち、“愛の教育”こそが相手自身にわからせる導き方なのである。」</p>
<p>　　　　　<strong>極意とは、相手を尊び愛の態度で導く事なのですね。</strong></p>
<p><strong></strong>④Q沖師は具体的にどの様な愛の態度をもって教え導いたのでしょうか。<br />A：盗癖のある小学４年生の男子の例。例え相手が小学４年生であっても、人間対人間の真心のこもった真剣勝負のやりとりがリアルに伝わってまいります。<br />(イ)子供の悪いのには大人にも責任がある。だから先生(沖師)はお前を叱る前におとなの代表としておまえにおわびさせていただく。<br />(ロ)ここからが沖師の真骨頂です。口だけではない具体的な態度でもおわびをしなければならないと語って、実際にろうそくに手をかざして焼き始めたそうです。<br />(ハ)子供はそれをみて先生許してくださいと自分が悪かった事に本当に気づくことが出来たのだそうです。</p>
<p>　　　　　　<strong>真剣勝負、真心勝負の沖先生に出会いたかった！！</strong></p>
<p>&nbsp;</p>
<h4><strong>こんな沖先生もいたのです！！</strong></h4>
<p><strong></strong>愛の態度が指導者としての生きた教育(指導)の根幹になければならないとする沖正弘師は恩義に対しても篤い人物でありました。ヨガ業書第２巻『ヨガに生きる』（霞ヶ関書房）より。奥様の沖マサ子さんの言葉を通して、そのあたりの消息を伝えてくださっています。「先生はきた手紙、ご縁のあった方の名刺、受講者の名簿は皆取ってあり、時々その方々の祝福を祈っております。沖師は、これまでの生涯の中でご縁を戴いた方々の名前を記した専用のノートをつくり、感謝おわび祝福祈願の行を瞑想中に行なっていらっしゃるのです」と沖マサ子さんは述懐しております。本当にすべてのご縁を大切にする生き方を実践された方だったのですね。<br />「宗教心とは、すべての人物を生かす心だ。生かす心が愛の心であり、感恩の心だ。無駄にしたり、捨てたり、不要なものを買ったりすることは、そのものを殺してしまうことだ。」</p>
<p><strong>すべてを生かす心で実践行を行っている沖正弘師の無言の教え。“呼吸”に触れてみたかった！！息吹を感じてみたかった！！</strong></p>
<p>遅れて来た人間のつぶやきは止まりそうにありませんが、如何でしたか。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h1>II.<strong>沖ヨガのホームページを御覧になって下さっている貴方へ。</strong></h1>
<p><strong></strong>もしかしたら、ヨガにどっぷり浸かっていらっしゃるかた？それとも覗いてみようかな。ヨガをやってみようかな。ひと先ず情報収集を始められた方でしょうか。<strong>ヨガの扉を前にした貴方にお伝えしたい事があります。</strong></p>
<p>①ヨガの創設者、沖師の人物像や目指されたヨガについて、いささかなりとも、御案内出来ていたら幸いです。沖師は存命中にたくさんの著書を著わしました。多数の講演を行い、海外でのご指導も世界各地、広域に及んでいます。ヨガの種まきをなさいました。遺されたものから、私達はたくさんの事を知る機会を与えられている事は事実です。<br />でも、遅れてきた人間として思うことがあります。語られていること　教えられていること　伝えられていること、本当に学びがいのある事柄ばかりです。真実に到る道の数々がここにはあるのです。でも、実はこの教えの数々は扉の前で、ショウウインドウから眺めていても解らない事柄に充ち充ちているのです。<strong>本ものに出会うには、その為のやり方があるのです。教えられた事を生きた智慧に作りかえてゆくのは、ご自分なのです。各自がその為にいばらの道を歩まねばならないという事なのです。本当にわかる為にやらねばならないことがたくさんあるという事なのです。<br /></strong>「修養と修行と修業をひとつにした人間訓練法であり、自己教育法がヨガの意味する処である。」と沖師は語ります。<br />②そして、もう１つ思うことは、<strong>薫育(くんいく)</strong>という言葉をご存知の事と思います。沖先生がヨガ指導者として活動をされていた時に、たくさんの教えを実際に受けることの出来た諸先輩の先生方が只今沖ヨガ協会には多数いらっしゃいます。<br />そのような諸先輩の先生方の血となり肉と化してカラダのなかに折り畳まれた教えの数々が存在します。<br />③生命にのなかに蔵われた生きた教えに出会うには？</p>
<p> <strong>そうなのです。扉の前に立った貴方へ。扉の前を通過してはいけません。そこで、止まり、扉を開ける事です。</strong></p>
<p><strong>そして…さらに前に進んで行きましょう！！</strong></p>
<p><strong>実践哲学としてのヨガと、その実践の教えに出会う為に。</strong></p>
<p><strong>そこにはたくさんのお仲間が待っています。</strong></p>
]]></content:encoded>
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		<title>【講師コラム：山口紀恵子】生きがい講座～沖ヨガは生きている～</title>
		<link>http://sougouyoga.com/2012/04/09/%e3%80%90%e8%ac%9b%e5%b8%ab%e3%82%b3%e3%83%a9%e3%83%a0%ef%bc%9a%e5%b1%b1%e5%8f%a3%e7%b4%80%e6%81%b5%e5%ad%90%e3%80%91%e7%94%9f%e3%81%8d%e3%81%8c%e3%81%84%e8%ac%9b%e5%ba%a7%ef%bd%9e%e6%b2%96%e3%83%a8/</link>
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		<pubDate>Mon, 09 Apr 2012 05:12:07 +0000</pubDate>
		<dc:creator>oishi</dc:creator>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>

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		<description><![CDATA[&#160; その日は、室蘭市が主催する障害者のための「生きがい講座」平成２３年度の最終日でした。三年目終了です。「来年度はどなたが見えるか解りませんがヨガを続けて下さい。どこで会ってもお互いに声をかけ合いましょう！」と [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[
<p>&nbsp;</p>
<p>その日は、室蘭市が主催する障害者のための「生きがい講座」平成２３年度の最終日でした。三年目終了です。「来年度はどなたが見えるか解りませんがヨガを続けて下さい。どこで会ってもお互いに声をかけ合いましょう！」と挨拶致しました。その途端びっくりした様子で「別の方のヨガなら受講したくありません」との声があがり、その中の一人が早速事務所へかけ合い、結局次年度も続行という事になりました。何故･･･？沖ヨガの内容が良いからと云う事のようです。「今、この様なお話を聞く機会が少ないので楽しみなのです。だから続けて下さい。」と。直接そのような事を聞いて（私自身障害から始めたヨガ人生でしたから）嬉しくて、続けてきて意味があったと、又喜んで頂ける幸せを今噛みしめております。視力障、聴力障害、脳梗塞、パーキンソン脳性マヒの人達に、盲人ガイド、手話通訳の方々が加わり２０名になります。身体の方は思うように動くことは出来ませんので心の部分が中心となります。</p>
<p>「感謝・懺悔・下座・奉仕・愛行」「断捨離」「修・破・離」「修正法」「呼吸法」とらわれない、ひっかからない。こだわらない、など。この様な言語(ことば)が新鮮に感じられるようです。講座終了間際、突然ろうあ者の鈴木さんから「センセイ！４ガツノ　ケッコン５０シュウネン　オメデトウゴザイマス」と花束を戴きました。どうして知っていたのか不思議でしたが、昨年私が話していたようで、しっかり覚えて下さって、一人一人がお金を出し合ってのことだと聞き、この思いがけない暖かいサプライズが最高に嬉しくて感激で泣きました。―心がひとつになった瞬間でした―</p>
<p>現在、全国の仲間が沖ヨガを残そうとNPOを立ちあげ日々努力しております。二年間、私も理事として北海道～東京日帰り理事会に出席させて頂きました。今が一番大切な時期を迎えていることを強く感じております。</p>
<p>３．１１の大災害から「絆」という一文字が選ばれました。言葉だけが一人歩きしないよう、風化されないよう、心して行かなければならないと思います。「絆から結へ」東北観光博が始まりました。残り４１都道府県へのメッセージです。</p>
<p>ヨガの語源は「結ぶ」ということを思い起こして目的に向かって話合い、力を出し合って社会貢献出来る協会に育てていきましょう。</p>
<p align="right">合掌</p>
<p><img class="size-medium wp-image-754 alignleft" title="yamaguchi" src="http://sougouyoga.com/wp-content/uploads/yamaguchi-300x225.jpg" alt="" width="300" height="225" /></p>
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		<title>【講師コラム：坂本知忠】生命即神とは　沖道ヨガとは</title>
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		<pubDate>Fri, 09 Mar 2012 10:25:18 +0000</pubDate>
		<dc:creator>oishi</dc:creator>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>

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		<description><![CDATA[生命とは生き物のなかに生起している特殊なエネルギーの流れです。そのエネルギーには情報がインプットされています。その情報を仏陀はカルマと云いました。人間には体温や脈拍、血圧を一定に保ち生体を保持する機能がそなわっています。 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[
<p>生命とは生き物のなかに生起している特殊なエネルギーの流れです。そのエネルギーには情報がインプットされています。その情報を仏陀はカルマと云いました。人間には体温や脈拍、血圧を一定に保ち生体を保持する機能がそなわっています。それが生命の働きです。生命の働きは自然法則そのものでバランス維持回復の働きであり、身体内部で潜在意識的に働いています。生命の働きは常に変化、バランス、安定を繰り返しています。病が起これば生命の働きは病を治そうとして働き、痛みが起これば痛みを軽減しようとして働き、悩みが起これば悩みを解決しようとして働きます。身体の病気がなかなか治らないのは生命の働きを阻害させている原因があるからです。その原因に対して変化刺激を与えバランスさせれば生命が正常に働き病気という現象はなくなります。身体や心が病んでも生命は病むことはありません。加齢によって生命力は衰えますが、老化が病気の直接原因ではありません。精神力や高潔な人格は衰えません。</p>
<p>ウパニッシャドの哲学では内なる神をアートマン(真我・魂)と云い、外なる神をブラフマン(梵)と云います。梵我一如がウパニッシャドの理想です。沖先生の哲学はウパニッシャドを基としています。ウパニッシャドの意味は師匠の側に座ると云うことで、書物や文献で学ぶのではなく以心伝心で師匠から弟子へと教えを伝える密教と云う意味です。また、密教には教えに対して行動する実践するとの意味があります。沖先生は真我即神と云わず、なぜ生命即神と云ったのでしょう。ゴータマ仏陀以前の哲学は魂が輪廻転生すると考えました。仏陀は不滅の魂を否定しましたが、途切れることなく継続変化してゆく生命という特殊なものがあることを洞察していました。生命は死によっても分断されずエネルギーとして継続していくことを知っていました。生命は今、現在を起点に過去と未来に繋がっています。川の流れにも似ています。仏陀はその生命であるエネルギーの継続を輪廻転生と云いました。沖先生は仏陀の生命観からヒントを得て生命即神という言葉を生みだされたのであると思います。生命は無限継続を求めています。生命は無限拡大を求めています。生命は無限自由を求めています。なぜならそれが神である生命の性質だからです。</p>
<p>南伝仏教・上座部仏教は世界を苦であると見ました。又、輪廻転生を苦であると見みました。現世を否定し人格を否定して、理想状態を欲望や自我を全て吹き消して無くなったところニルバーナ(涅槃)とました。出家主義で自己救済と解脱を目的にした教えです。この考えは厭世的になる恐れがあります。</p>
<p>これに対して北伝仏教・大乗仏教は煩悩や欲望を否定せず、むしろそれを肯定し活用する方に目をむけたもので、自己拡大と社会救済を目的にした教えです。沖先生の哲学はこれに近いと考えます。</p>
<p>ジャイナ教は出家主義をとりますが全ての生き物には魂があって、魂が輪廻転生していると見ています。魂イコール生命と定義すれば、仏教とジャイナ教はまったく同じ教えです。ジャイナ教は非暴力・不殺生を教えの第一に位置付け、全ての生き物達と仲良くするという平和主義を掲げているのが魅力的な教えです。</p>
<p>沖先生は出家主義をとらず、我々一般社会人が実社会で現実的な生活を営んでいくなかで、どの様にしたら幸福で豊かで平和になれるかの実践哲学を編み出しました。身体の健康法だけのヨガ、自己救済だけに終わってしまうヨガをはるかに凌駕した総合的な求道ヨガを提唱したのです。これはまったく新しいヨガであり全生命救済の教えです。沖道ヨガが消極的ヨガでなく積極的ヨガだと評価される所以がそこにあります。</p>
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		<title>【講師コラム：向井昭子】だから沖ヨガ！（生き方の教え）</title>
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		<pubDate>Fri, 17 Feb 2012 06:42:03 +0000</pubDate>
		<dc:creator>oishi</dc:creator>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>

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		<description><![CDATA[心身ボロボロ、途方にくれている時友人のすすめでヨガに出会い、沖ヨガにご縁を得て、道場通いの中で、健康を取り戻し、現在の倖せにつながったのは、偶然ではなく、神の采配と信じ続けている。沖ヨガの教えは、「今起こったことから逃げ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[
<p><a href="http://sougouyoga.com/wp-content/uploads/IMG_0001.jpg" rel="lightbox[716]"><img class="alignright size-medium wp-image-717" title="向井昭子" src="http://sougouyoga.com/wp-content/uploads/IMG_0001-300x225.jpg" alt="向井昭子" width="300" height="225" /></a> <a href="http://sougouyoga.com/wp-content/uploads/IMG.jpg" rel="lightbox[716]"><img class="size-medium wp-image-718 alignnone" title="向井昭子" src="http://sougouyoga.com/wp-content/uploads/IMG-300x225.jpg" alt="向井昭子" width="300" height="225" /></a> <br />心身ボロボロ、途方にくれている時友人のすすめでヨガに出会い、沖ヨガにご縁を得て、道場通いの中で、健康を取り戻し、現在の倖せにつながったのは、偶然ではなく、神の采配と信じ続けている。沖ヨガの教えは、「今起こったことから逃げるな！俺のことも言葉も信じるな、疑うな確かめよ！騙すな騙されるな！今日一日を生ききろ！明日の事を思いわずらうな！日々の生活がヨガだ！」。この教えは、二人の息子、二歳と四歳を抱えた母子家庭の私の大きな支えになった。日々の生活の苦悩の中にでも、沖ヨガに学ぶ絶対的な手応えを感じた。青森で沖ヨガを広めよう。（沖先生に）「行ってあげよう」と応援のお言葉をいただきながら実現できなかった自分の力不足を、未だに引きずっている。しかし沖ヨガにいただいたご縁は私の助けになり、窮地に立った時、アイアンガー先生の「ターダアサナ、足の裏脚全体でしっかり立てなければ、命を使いこなせない。中心をぶれる事なく、しっかり立って前に進め」と、自分に言い聞かす。又、これでいいのかと心に迷いが生じた時、唯坐って、タチヤ先生、ジャイナ教のプレクシャー冥想をすると先が見え光が届くのを感じる。そうだ！思いわずらうな！今日一日でいいと今日まで来たではないか、と感謝、ありがとうです。</p>
<p><img class="size-medium wp-image-719 alignleft" style="border-style: initial; border-color: initial;" title="玄米弁当" src="http://sougouyoga.com/wp-content/uploads/IMG_0002-300x210.jpg" alt="玄米弁当" width="300" height="210" /></p>
<p>小さな事でいいから喜んで欲しいと、ヨガ教室に玄米試食を持ち運ぶ様になった時、「おいしい！ありがとう！」のキャッチボールに励まされ、続けたかいが有り、玄米弁当は現在、幼稚園に配達し、仕事に発展したのも沖ヨガ道場での体験からであった。食を正し、心身を正し、自他の喜ぶ生き方、感謝、懺悔、下座、奉仕、愛行を学んだら、本当のヨガが解る。</p>
<p>多くの人が、今のご自分のヨガをしながら、沖ヨガの生活ヨガを学んだら、さらにヨガ界は繋がり、人びとの生き方はとても生きやすく、世の中は明るくなるのではと、沖ヨガを絶賛する私なのです。</p>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
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		<title>【講師コラム：龍村修】謹賀新年</title>
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		<pubDate>Thu, 02 Feb 2012 11:20:23 +0000</pubDate>
		<dc:creator>oishi</dc:creator>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>

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		<description><![CDATA[今年が皆様にとって、よりよい年であるようにお祈りいたしています。今年は、私達の協会にとって、昨年よりもさらに大きな変革の年になってまいりました。すなわち、まず名称を国際総合ヨガ協会から「沖ヨガ協会」に変更する予定で、全て [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[
<p>今年が皆様にとって、よりよい年であるようにお祈りいたしています。<br />今年は、私達の協会にとって、昨年よりもさらに大きな変革の年になってまいりました。すなわち、まず名称を国際総合ヨガ協会から「沖ヨガ協会」に変更する予定で、全てを進めていることをご報告いたします。</p>
<h2>《沖ヨガ》の名前の方がよく知られている</h2>
<p>その経緯の一つに最近、私も他のヨガの団体と接する機会があったのですが、「国際総合ヨガ」という名前が一般の方々には薄い印象であり、「沖ヨガ」、といった方がはるかに知名度が高く、通用することが良く分かって来た、ということがありました。海外では「OKI YOGA」や「OKI-DO YOGA」で通っていますので、その方が一般になじみやすいと考えたからです。私が沖ヨガ修道場にいました1973年～1994年の20年間は、いつも「沖ヨガ」と言ってました。1980年の世界大会頃からは、沖道ヨガも使っていましたが、通常は「沖ヨガ」でした。</p>
<h2>沖ヨガ、沖道、沖道ヨガの沖先生の考え方</h2>
<p>沖正弘先生自身の考え方では、「沖ヨガ」や「沖道」「沖道ヨガ」という名称は、他のものに真似できない「求道心」や「宗教心」をもって真理を探求し、個人救済を超えて、社会救済活動をする人間でなければ、使うこと自体を許せない、というものでありました。龍村個人も沖先生のその意思を知っていましたから、「沖ヨガの講師」をやっていますとか、「沖道の指導員」です、などとはとても言えないものであり、沖ヨガや沖道を使うこと自体を遠慮していました。この点で忘れられないのは、沖先生が「らい病（ハンセン氏病）患者の膿をすする決意のないものが、宗教を説いたりするものでない」と厳しく言われていたことです。「おれの真似をするな」もよく言われていたことであり、沖先生の亡き後に、「沖ヨガ」「沖道」という名称は高い精神性、宗教性を身に着けた知行合一の人間以外は使用させていただくことを、本来は遠慮するべきものだったのです。<br />ところが、近年は沖先生に会ったこともない人が、沖先生のことを知らないが故に、沖ヨガ、沖道ヨガ指導員と気軽に使ってしまっていたりすることがわかりました。沖先生の「ヨガのすすめ」やその他の著書に乗っている基本ポーズや浄化法・強化法などの技術や著書の言葉を覚えれば、沖ヨガと思っている人までいるのです。<br />沖ヨガの名で講師や指導員の育成を行うことは、とてもおこがましいのですが、沖先生に直接に学んだ者が、ある程度集まって、協会の組織として行うことなら、沖先生から許しを得れると感じた次第です。多くのヨガの団体は、中心となる教師とその弟子が組織していることが多く、私達の会の様な、沖先生の直弟子が同格の立場で、何名もいて、しかもそれぞれが、違った言葉で沖ヨガの哲学と行法を伝えさせて頂いている組織は、類を見ないと思います。</p>
<h2>沖ヨガの内容の幅広さと深さを伝えよう</h2>
<p>私自身は沖先生の側に13年間、起居していた数名の内弟子の一人ですので、沖先生に接することがなかった人、あってもその密度や長さが一年程度と少ない人に比べたら、それと自分自身でも気づかないほど沢山の教えを頂いていました。しかし、現状の様に本来のヨガが少なくなり、沖ヨガも一体何なのか充分理解していないままに勝手に語られている現状を見た時に、少なからず驚くと共に、それも時代の趨勢で、またしかたがないことか？とも思っています。<br />それで、はっきりと沖ヨガとして打ち出して、できる限り幅広く深く沖先生の真の「沖ヨガ」「沖道」がどういうものであるのかを、お伝えさせていただかねばならない、という決意でいます。おこがましいこととも思いましたが、経験豊かな沖先生の弟子の人たちと共にこの仕事を成し遂げる気持ちで名称を変更させていただくことを、お伝えいたします。</p>
<h2>沖ヨガの原点は奉仕団体</h2>
<p>もう一つの重要な面は、「沖ヨガ」はヨガの普及団体ではなく、ヨガで身に着けた心身生活の開発法を「社会救済」に役立てる、奉仕団体が基礎の団体なのだ、ということです。もともと沖先生は戦後に自身の戦争体験の反省の中から、ユネスコの平和奉仕団の派遣員としてインドで奉仕行をされただけでなく、帰国後も、日本人として世界平和に貢献する為に「日本人国際平和奉仕団」を結成すると決意されて、その団員の人材育成にインド・中国・日本のヨガや伝統的な東洋の医療法などを活用する、ということで、沖ヨガ修道場を創られたのです。これが沖ヨガの団体の始まりです。ヨガ普及の意味においては、昭和40年代や50年代までは、心身の健康法としての応用面などでヨガ指導させて頂くことだけでも、社会貢献の意義があったと思うのですが、既に多数の営利企業や団体がヨガ普及に加わっているのが現状ですから、私達の団体としては、NPO法人を作ったわけでもありますから、その特色として、組織としてヨガの心での市民活動、社会貢献をしていくことが必要と思います。<br />沖ヨガの仲間を増やしてくことは必要ですが、沖先生が晩年に示された3つの会（求道実行会、沖ヨガファミリーの会、捧愛団）を実現して行くことが必要を思います。それで、仮称「特定非営利活動法人　沖ヨガ協会」は、様々な沖ヨガ愛好者が集い協力し合って、学びあい、後輩を育成し、また共益的に様々な活動を行う分野と、公益的活動として社会貢献するために、現代が抱える様々な社会問題に奉仕活動を通じて取り組む捧愛団の考えを実行して行きたく思います。会員の皆様にぜひ積極的に活動にご参加いただけることを期待しています。合掌</p>
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		<title>総合ヨガとは何か</title>
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		<pubDate>Fri, 09 Dec 2011 09:13:18 +0000</pubDate>
		<dc:creator>oishi</dc:creator>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>

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		<description><![CDATA[『沖ヨガ』の始まり 沖正弘先生（1921〜1985）は、戸籍上では、1921年生まれですが、実際は1919年生れと言われてました。特務機関員になる時に一旦戸籍を抹消したが、戦後に再度つくり直す時に、なんらかの間違いで19 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[
<h2>『沖ヨガ』の始まり</h2>
<p>沖正弘先生（1921〜1985）は、戸籍上では、1921年生まれですが、実際は1919年生れと言われてました。特務機関員になる時に一旦戸籍を抹消したが、戦後に再度つくり直す時に、なんらかの間違いで1921年になってしまったのでは？という話でした。まだ15才未満の頃に父の関係で家に来たオッタマ僧正から、ヨガということを初めて聞いた、とされています。ヨガの会はいつ頃からかは、一応戸籍に従えば、最初のヨガの会を創ったのは21才の時、1942(昭和17)年で、陸軍や海軍の将校の依頼で、インドで習ったヨガを教えることになり、「ヨガ研修会」を創ったのが最初のヨガの会、ということでした。その後、戦後引き上げて福井県の大野市に住んだ頃から、病人に依頼されて鍼灸指圧物療等の治療や病人指導の形でヨガ指導を行っています。その後、1951年にユネスコの奉仕活動でインドにわたり、様々な奉仕活動を行い1955年に帰国する迄、活動の合間にインド各地で30カ所のヨガ道場やヨガ指導者のもとに行って、ヨガを習い実践したと言われています。帰国後に1956年頃から神戸と東京でヨガ講習会を定例に行う様になった、とされています。そして、戦争体験とインドでの奉仕活動の体験から、日本人の手による平和国際平和奉仕団を組織して、1958年に日本ヨガ協会や自身の会のヨガ行法哲学研修会を設立し、活動が活発化したとされてます。その後の大きな契機は、三島に沖ヨガ修道場を1967年ごろから、建設を初め、創設したことでしょう。これ以後は、年中無休の沖ヨガ修道場は、いつ誰が来ても受け入れる、という形になりました。</p>
<h2>『沖ヨガ』、沖先生の講演や直接指導を受けた人の数</h2>
<p>沖先生が日本でヨガ団体として活動された昭和30年頃から60年頃迄の間に、道場外での講演や道場内等で直接に沖正弘先生を通じて沖ヨガに触れた人々の数は、のべ人数で40万人以上と思います。その根拠は、以下です。沖先生はほとんど休みがなかった人で、私が直接知っている昭和48年から60年の間で、例えば昭和55年ごろで、夏の講習のピークなど、多いときは200名が毎日滞在しています。最小人数の時でも、受講生は10名位はいました。それにスタッフはどんなに少なくても10名以上いました。講演会は多い時は一度に1000人を超える人が聞いています。それで平均人数をどんなに少なく見積もっても40名はあったとします。すると、１日平均40名が沖先生の話を聞く等の直接指導を受けたとして、40名×365日×30年＝438000名です。実際は昭和30年以前も活動されていますから、もっと多くなると思います。テレビや書物で知っているという数をいれると100倍以上となりましょう。</p>
<h2>国際的な活動</h2>
<p>海外ではOKI DOやOKIDO YOGAは日本のヨガとしてヨガ関係者はかなり知られています。台湾の「沖道瑜伽会」は、台湾最大のヨガ組織で社団法人です。沖先生のヨガ指導の足跡のある主な国々は、アメリカ、カナダ、イギリス、フランス、オランダ、イタリア、ベルギー、ドイツ、スイス、スウエーデン、オーストリア、イスラエル、南アフリカ、ブラジル、アルゼンチン、オーストラリア、台湾、韓国など、世界20カ国以上にわたって活動しています。</p>
<h2>沖ヨガと沖道</h2>
<p>私は1973年の沖ヨガ修道場冬期特別講習に初めて参加して、指導者養成班に入り、10日間初めて沖導師の指導を受けました。その頃は、「沖ヨガ」という名称はありましたが、「沖道」はまだありませんでした。沖先生自身は、既に述べて来た様に、「求道ヨガ」と一方で言いつつも、弟子が「沖ヨガ」という表現を使うことも認められてました。沖ヨガとは沖正弘先生がインド・中国・日本のYOGA（瑜伽）およびアジアの医療法、民間療法、中国の陰陽道など、伝統的精神文化の良い所を集めて、総合化・生活化しているのが特徴です。</p>
<p>私は1976年にアメリカにニューヨーク支部創設の目的で、渡米し半年間滞在しましたが、その前からボストンで支部活動を開始していた上嶋氏が、インドヨガの亜流でない独特のヨガという点や、日本のヨガというポイントをハッキリ打ち出すのに「道」をつけたら、という発想で「沖道（OKI-DO）」という名称はどうでしょうか？と沖先生に進言して、それを使うことになりました。この頃は、他に「禅ヨガ（Zen Yoga）」という名称も使っていました。「Zen」をつけると、インドヨガとは違うものという印象になるからです。</p>
<h2>『総合ヨガ』とは何をもって総合というか</h2>
<p>ヨガは本来、総合的・段階的・生活的ですが、現代社会を健康に生きる技術と捉えていますと、体操的部分や呼吸法の部分を取り出して、ヨガと提示することが多くなってしまいますが、これが社会に大きな誤解を招くことになります。禅も本来は、「ディアナ（禅定）」の状態を、生活全体で実現するものなので、座禅をしているときだけが、「禅」をしているのではありません。禅寺での清掃の様な、様々な作務の時間も、食事をつくることも、禅の行法なのです。</p>
<p>沖先生は「総合的でなければ、ヨガでない」という考えをもっていました。この総合的という語は、生活全体的、即ち、「生きている」ということに影響を与えている全て（例えば、心、体、食物、仕事、環境など）を合わせて、という意味で、逆に言うと部分的でない、集合的でない、とう意味がこもっています。本来の意味のホリスティック（身・氣・心・霊性などの全ての位相から＝全的）という意味が込められています。</p>
<p>本来のヨガの修行スタイルは、師匠の下に（修行道場）住み込んで、生活全般にわたり、「ヨガ（神＝真理と結ぶ）」を学び身につける、という方法です。精神修養を中心とした施設では、大体において、早朝には祈りの時間があります。お寺で言えば勤行として「読経行法（経典の内容の口唱すること、声を出し呼吸すること、を通じて内容を身につける）」したり、冥想・座禅したりするのです。身の回りの清掃も、料理をして食事を食べるのも「ヨガ」として行います。清掃行法、調理行法、正食行法（栄養摂取行法）、です。師匠から、ヨガ哲学の講話や経典の読解を通じて、ヨガの哲学を学ぶ時間（座学）があったり、ポーズや呼吸法、浄化法、冥想等の実習があります。</p>
<p>written by 龍村修</p>
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		<title>求道ヨガ</title>
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		<pubDate>Mon, 31 Oct 2011 08:59:41 +0000</pubDate>
		<dc:creator>oishi</dc:creator>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>

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		<description><![CDATA[エクササイズ化するヨガ 私は今社会に普及している様々なタイプのヨガを見ています。40年近く前と、今の普及しているヨガと何が違うかというと、現代の方が実に多様化しビジネス化し、専門化していて、また肉体中心で、どんどんエクサ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[
<h2>エクササイズ化するヨガ</h2>
<p>私は今社会に普及している様々なタイプのヨガを見ています。40年近く前と、今の普及しているヨガと何が違うかというと、現代の方が実に多様化しビジネス化し、専門化していて、また肉体中心で、どんどんエクサザイズ化しているということです。本来総合的であったヨガの一部分を強調したり、細分化して行く経緯は、他の分野と同じことです。伝統的なアジアの医学は基本的に人間をホリステイック（全的＝身・心・氣・霊等を一体と見る視野など）な視野で見て病気に対処していました。数十年前までの現代医学の医師も比較的全体を見ようとしていましたが、今は内科でも様々に分かれていて分野ごとに専門医がいます。ヨガも技術を中心にすると、沢山の技術がありますから、他と分ける為にその技術を特徴付けることが起こります。</p>
<h2>インド発の米国経由のヨガ</h2>
<p>私がヨガを始めた頃は、今で言う北インドのリシケシからでたヨガが中心でした。イギリスで医学を学んだシバナンダ師が、沢山の弟子を近代的な視野に照らしたヨガで育て、古典的なヨガを現代人の心と体と霊性の全体の健康に役立つものとして伝え、沢山の弟子を養成して世界に派遣しましたから、それが西欧世界に大きな影響を与えました。内容が総合的で精神的でしたから、様々なアサナの細かい動かし方の違いや呼吸の仕方に対して、細かいことは強調されず、霊的に人間性が高まることに力点が置かれていました。私が学んだ沖ヨガも、様々な要素が入っていますが、インドのヨガの系統としては、このリシケシや同じく近代的科学的効果を重視するロナワラのヨガ研究所の影響が見られます。これらのヨガの場合は、アサナを見てもそこに何か深い精神性の探求を感じさせられるものがあり、細かい技術はあまり重視されません。</p>
<p>これに対して、現代アメリカから流入してきたヨガは、多分に元はインド的ですが、米国流にアレンジされ、精神性を大幅に省いている場合が多いヨガとなっています。精神的ものをいれている、といってもそれは知識だけで多分に付け足しただけ、という感じで精神性が中心とは思えない内容です。またポーズの細かい技術、形ややり方や細かい筋肉の動きや、連続したポーズの場合はその順番まで、決められており、その形と動作を行うことをヨガにしています。システム化された内容なので、ある意味でわかりやすく、学びやすいと言えますが、精神的なヨガに触れたことのあるものから見れば、これだけをヨガと思われたら困るという内容です。</p>
<h2>技術中心はロボットを産む</h2>
<p>日本の場合は禅というヨガの伝統がありましたから、インド（天竺）から来たものは、精神的なものが中心である、と基本的に了解していたので、ヨガのアサナはそれ自体に精神的なものを含むものという理解があったと思います。それで、10数年前までは、ヨガは精神的なものなのだ、という社会的了解があったと思います。ところがこの技術中心のヨガは、技術中心だからどの先生から習っても大差がないし、精神的なものがほとんどなくても、やり方の技術を身につければ、それで指導員になれるのです。自分とほとんど同じ指導の仕方をする弟子の指導者を育てるヨガでは、指導者はほとんどロボットの様に同じ内容を指導します。その系統の場合、ヨガの実践で精神性と思われていることは、そのアサナを実践している時の痛みに耐えているとか、持続する肉体的な辛さに耐えている等のことなのです。ヨガは実践99％ということに間違いはありませんが、スタジオでのアサナの練習をヨガの実践としていて、それが99％というなら、これは偏っていると言わざるを得ません。総合的な実践でないと私は偏ると思っています。</p>
<h2>求道のヨガは、学びと気づきのヨガ</h2>
<p>　私は生徒にいつも、ヨガを学ぶ時に技術中心にするか、求道中心にするかは、最初の頃はあまり差が無くても、10年20年経つと大きな差が生まれて来ると言っています。それは自分の40年近いヨガの経験からそういえるのです。ヨガの技術を追い求めている人は、勉強していても同じ地平でより沢山の技術をもっただけで、質的な違いのある技術のレベルに達しないし、「智恵が生じる」というレベルに達せないのです。智恵が生じるとは、自然法則や生命法則、宇宙法則の智恵が次々と湧き出て来る状態のことです。釈尊の言葉とされる有名な「法句経（真理のことば＝ダンマパダ）」には、次の様に書かれています。<br />『実に<strong>心が統一された</strong>(=yoga)ならば、豊かな智恵が生じる。心が統一されないならば、豊かな智恵がほろびる。生ずることとほろびることのこの二種の道を知って、豊かな智恵が生ずるように、自己をととのえよ。』（岩波文庫「真理のことば」282句、中村元訳より）<br />本当にヨガを行う（心を統一する）と「豊かな智恵が生じる」、ということはとても大切な教えで、逆の智恵が生じない道＝ほろびる道とは、自然法則からずれた生き方になる、ということを教えています。</p>
<p>written by 龍村修</p>
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		<title>ヨガの基礎知識（Part3）</title>
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		<pubDate>Tue, 30 Aug 2011 02:30:20 +0000</pubDate>
		<dc:creator>oishi</dc:creator>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>

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		<description><![CDATA[ヨガの意味は、神と結ぶ ヨガの基本的な意味は、すなわち、「神（＝宇宙）と結ぶ」が本来の意味であることを述べました。それが、ヨガスートラが編簿された頃（AD4頃か）には、一般的な定義として、「ヨガとは心の働きの制御（岸本英 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[
<h2>ヨガの意味は、神と結ぶ</h2>
<p>ヨガの基本的な意味は、すなわち、「神（＝宇宙）と結ぶ」が本来の意味であることを述べました。それが、ヨガスートラが編簿された頃（AD4頃か）には、一般的な定義として、「ヨガとは心の働きの制御（岸本英夫訳）である」となります。原語では、「YOGAS  CHITTA  VRITTI  NIRODHAH」で、前回はこの翻訳のしかたにもニローダ(NIRODHA)を「制御（コントロール）」と訳する人もあり、また「止滅する」と訳する人もある、と述べました。従って原義に照らしても、体操の意味はありません。どんなものでも時代を経るとだんだん変化して行くものですが、原点を見つめないと、今のヨガの現象的なものを見ているだけでは、本質を取り違えてしまうのです。ヨガは「釈尊を悟りに導いたものはヨガである」と言われていることや、「シャカやジナは文献に残る歴史上最初期のヨガ行者」とされていることから、想像して欲しいのですが、体操をしてそういう境地にはなりえません。</p>
<p>ヨガの種類が増えて変遷してくる経過を、わかりやすく例えてみます。カメラというと今はデジタルカメラが主流なので、フイルムを使うカメラの場合は、わざわざ「フィルムカメラや銀塩カメラ」と言わねばならならなくなりました。10数年前迄は、カメラと言えばフィルムカメラしかなかったのですから、「カメラ」といえばそれがフィルムを使うカメラでした。最近になって初めてカメラを手にする若い人、なにも知らない人は、最初からデジタルカメラとフィルムカメラの２種類があるかのように思ってしまうことでしょう。それで良くわからない人は機能の分け方やメーカー別の分け方などをごちゃ混ぜにして全部同列に並べることも起こってきます。カメラを初めて買いたい人が、カメラ店に入って、デジタルカメラかフイルムカメラかニコンカメラかポラロイドカメラかどれを買いましょうか？と店員に尋ねる様なものです。ヨガも本来は「神と結ぶ」という行為（瞑想）を指したのですが、後から色々な技術や呼び方が増えて来て、混乱する様になったのです。</p>
<h2>準備の為のことをヨガと間違う</h2>
<p>　もう一つの誤解を招くことは、ヨガが入門から最終目的までを段階的に解説していて、しかもそれぞれの行法があるので、それらの一部を見たり体験した人が、それをヨガと思ってしまう人が結構いるということです。ヨガは八段階で説かれたり、十段階（沖正弘）だったり、六段階や四段階で説かれたりします。一般にヨガと思われているのは、最初のニ段階目や三段階目に数えられる「アサナ＝坐法、体位法」と呼ばれる段階です。これはヨガの本来の行法である「冥想」の準備にあたるわけですが、とてもそれが印象的にうつるので、それがヨガと思われてしまいがちです。水泳で言えば、本質は水の中で溺れずに自由に動けること、泳げることです。しかし、人間は最初から泳げるわけではなく、多くの人は、水に入る前に準備体操したり、プールの端につかまって、足をバタバタさせる練習をしたり、顔をつけて息を吐いたり止めたりして、顔を上げて息を吸ったりする練習を行います。そして水の中で、溺れずに自由に動ける（泳げる）様になるのです。バタ足の練習や呼吸の練習を「これが水泳です」、とは言えません。水泳（泳げる為）の一部ではあります。これと同様に多くの人がヨガと思っているのは、ヨガの一部ではありますが、ヨガではないのです。</p>
<p>written by 龍村修</p>
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		<item>
		<title>ヨガの基礎知識（Part2）</title>
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		<pubDate>Thu, 18 Aug 2011 09:54:53 +0000</pubDate>
		<dc:creator>oishi</dc:creator>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>

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		<description><![CDATA[ヨガ（YOGA）の原義 　ヨガの語彙はもとは「結ぶ」の意味で、牛や馬に、鋤や車を「結びつける」という意味です。野原にいる馬や牛は、そのままなら勝手に好きな様に草を食べて動きまわり生きていて、人間の役にはたちません。しかし [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[
<h2>ヨガ（YOGA）の原義</h2>
<p>　ヨガの語彙はもとは「結ぶ」の意味で、牛や馬に、鋤や車を「結びつける」という意味です。野原にいる馬や牛は、そのままなら勝手に好きな様に草を食べて動きまわり生きていて、人間の役にはたちません。しかし、土を耕す鋤の道具や車を牛馬に結びつけて、コントロールすると、牛馬の力を使って様々な仕事をすることが出来るし、そこには野原で牛馬が生きているだけでは、決して出て来なかったかった価値が、生まれてきます。ヨガという語の意味には、その様に生命の力をコントロールする、という意味があります。これが、様々に広がりますが、神の力、宇宙のエネルギーと自分を結ぶ、身体と心を結ぶ、その力を活かしコントロールする等が基本です。また結ぶと調和がとれますから、統一、調和やバランスの意味、協力の意味、また結ばれると一体になるわけですから、一体化の意味になります。</p>
<p>　カタウパニシャッドという古典には、５頭の馬に繋いだ馬車を、車主が御者に命じて運転させて、目的地へ行く、という状況を使ってヨガの意味を説明しています。この時は「コントロールする」という意味がヨガとされているのです。権威とされているパタンジャリのヨガスートラの最初にヨガの定義が説かれており、ヨガとは心の働きを制御すること、と訳する場合と、止滅することと訳する場合とありますが、私は「制御」をとります。</p>
<h2>ヨガの発生は、いつ頃か？</h2>
<p>　古代インドのインダス川流域に発見されたインダス文明（BC2600〜BC1800＝およそ4000年前位？）の遺跡から出て来る印章や粘度板に刻まれた図象の中に、坐法をとって瞑想をしているらしいものがある関係で、その頃には既に始っていた？と推察されています。ヨガの本来の意味は、現代の多くの人が思っているある種の体操をさすのではなく、瞑想を意味します。従ってヨガをするとは、どこかが凝って来たり痛んで来たりしない姿勢、心が安定して来るキチンとした坐法をとって、目を内に向けて、呼吸を整えて、普通に感覚器官を外に向けていると決して感じたり、気づいたりすることのない事柄を、瞑想することなのです。それで宇宙・神からの啓示を受けたり、神と自己の関係に関する智恵を得たり、様々なことが分かって来るのです。実用的な面から推察しますと、神官達が集団の知りたい事柄（例いつ頃作物を植えるか？今年は水害はないか？好天に恵まれるか？）などについて、瞑想したと思われます。</p>
<p>written by 龍村修</p>
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		<title>ヨガの基礎知識</title>
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		<pubDate>Thu, 16 Jun 2011 07:37:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator>oishi</dc:creator>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>

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		<description><![CDATA[何故、体操的なことをするのか？ 現代人がいわゆる座禅の坐法の一つである結跏趺坐をとろうとすると、多くの人は最初からできないでしょう。仮にできたとしても、痛くて10分間も続けるのは困難でしょう。骨盤が安定して、背筋が伸びて [...]]]></description>
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<h2>何故、体操的なことをするのか？</h2>
<p>現代人がいわゆる座禅の坐法の一つである結跏趺坐をとろうとすると、多くの人は最初からできないでしょう。仮にできたとしても、痛くて10分間も続けるのは困難でしょう。骨盤が安定して、背筋が伸びて、筋肉がほぐれて、呼吸が楽に出来て、脳が安定して来る姿勢を、一定時間維持できる状態の身体にする為には、身体の歪みや縮みをとって、血行が悪くならない状態に、呼吸が楽にできる身体にする必要があります。その必要性が、今で言う様々な体操に見えるヨガのポーズを生み出したのです。<br />釈尊の頃(2500年前ごろ)は、ヨガのアサナ（坐法、ポーズ）は、日本語でいう正座、結跏趺坐、半跏趺坐、安定坐法、達人坐法など数個の坐法（ポーズ）しかありませんでした。それが、そうした目的で、時代を下るに従って徐々に増えていったものと思われます。13世紀の頃には数百になったともいわれています。また、瞑想が静的な形だけで行うものだけでなく、動的な状態でも達することができ、そこにも大きな価値を見いだしたのです。ハタヨガの「ハ」「タ」は「陰陽」の意味であり力・エネルギーコントロールのヨガの意味なのです。</p>
<h2>様々なヨガの道、ヨガの種類</h2>
<p>バガヴァッドギータと呼ばれるインドの古典(BC300-500?)には、カルマヨガ（奉仕道、行為のヨガ）、バクティーヨガ（信愛、祈り、信心の道）、ジュニアナヨガ（知識の道）、ラジャヨガ（王の道）など伝統的なヨガの道が説かれていますが、それらは富士山の頂上に至る登山道が色々あるのと同じで解脱や悟りに至る道の違いで、技術につけた名前の違いではないのです。この分類の仕方に８世紀以降に盛んになった、ハタヨガやクンダリーニヨガが後から加わって来ます。<br />ところが、こうした伝統的な分類の意味を理解せず、あたかも同列のようにアシュタンガヨガやハリウッドヨガとか、アイアンガーヨガとかの名前を加えていたりするようになりました。これは、国の名前と都市の名前と動物の名前を一緒に並べて、ヨガと呼んでいるようなものなので、知らない人達は混乱するのです。<br />例えば「アシュタンガ(８つの)ヨガ」は本来８つの階梯（支則）のヨガの意味で、パタンジャリの説いた八つの段階を指すものなのですが、近年は南インドのパンタビジョイスという個人がまとめた「連続ポーズの技術的ヨガ」を指す様に使われています。アイアンガーヨガや沖ヨガはそのヨガ道の開発者の名前（BKSアイアンガー、沖正弘）をつけているだけです。特に沖ヨガは、ハタヨガやラジャヨガやカルマヨガ、ジュニアナヨガ等の内容を含んで、総合的に説かれているものです。ハリウッドヨガ等は、ある企業がハリウッド俳優が行っている連続ポーズの技術の意味でつけているだけで、本来のヨガの分類にいれられない内容のようです。ヨガは本来ある種の技術につけられた名前ではないのですが（つまり統一や調和の状態を指す言葉）、技術につけられた名前であるかの様に使われてしまっているのです。</p>
<p>written by 龍村修</p>
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