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	<title>国際総合ヨガ協会 &#187; コラム</title>
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	<description>沖正弘 師の研修した沖ヨガを元に、国際的に総合ヨガを普及する団体です。</description>
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		<title>謹賀新年　</title>
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		<pubDate>Thu, 02 Feb 2012 11:20:23 +0000</pubDate>
		<dc:creator>oishi</dc:creator>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>

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		<description><![CDATA[今年が皆様にとって、よりよい年であるようにお祈りいたしています。今年は、私達の協会にとって、昨年よりもさらに大きな変革の年になってまいりました。すなわち、まず名称を国際総合ヨガ協会から「沖ヨガ協会」に変更する予定で、全て [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[
<p>今年が皆様にとって、よりよい年であるようにお祈りいたしています。<br />今年は、私達の協会にとって、昨年よりもさらに大きな変革の年になってまいりました。すなわち、まず名称を国際総合ヨガ協会から「沖ヨガ協会」に変更する予定で、全てを進めていることをご報告いたします。</p>
<h2>《沖ヨガ》の名前の方がよく知られている</h2>
<p>その経緯の一つに最近、私も他のヨガの団体と接する機会があったのですが、「国際総合ヨガ」という名前が一般の方々には薄い印象であり、「沖ヨガ」、といった方がはるかに知名度が高く、通用することが良く分かって来た、ということがありました。海外では「OKI YOGA」や「OKI-DO YOGA」で通っていますので、その方が一般になじみやすいと考えたからです。私が沖ヨガ修道場にいました1973年～1994年の20年間は、いつも「沖ヨガ」と言ってました。1980年の世界大会頃からは、沖道ヨガも使っていましたが、通常は「沖ヨガ」でした。</p>
<h2>沖ヨガ、沖道、沖道ヨガの沖先生の考え方</h2>
<p>沖正弘先生自身の考え方では、「沖ヨガ」や「沖道」「沖道ヨガ」という名称は、他のものに真似できない「求道心」や「宗教心」をもって真理を探求し、個人救済を超えて、社会救済活動をする人間でなければ、使うこと自体を許せない、というものでありました。龍村個人も沖先生のその意思を知っていましたから、「沖ヨガの講師」をやっていますとか、「沖道の指導員」です、などとはとても言えないものであり、沖ヨガや沖道を使うこと自体を遠慮していました。この点で忘れられないのは、沖先生が「らい病（ハンセン氏病）患者の膿をすする決意のないものが、宗教を説いたりするものでない」と厳しく言われていたことです。「おれの真似をするな」もよく言われていたことであり、沖先生の亡き後に、「沖ヨガ」「沖道」という名称は高い精神性、宗教性を身に着けた知行合一の人間以外は使用させていただくことを、本来は遠慮するべきものだったのです。<br />ところが、近年は沖先生に会ったこともない人が、沖先生のことを知らないが故に、沖ヨガ、沖道ヨガ指導員と気軽に使ってしまっていたりすることがわかりました。沖先生の「ヨガのすすめ」やその他の著書に乗っている基本ポーズや浄化法・強化法などの技術や著書の言葉を覚えれば、沖ヨガと思っている人までいるのです。<br />沖ヨガの名で講師や指導員の育成を行うことは、とてもおこがましいのですが、沖先生に直接に学んだ者が、ある程度集まって、協会の組織として行うことなら、沖先生から許しを得れると感じた次第です。多くのヨガの団体は、中心となる教師とその弟子が組織していることが多く、私達の会の様な、沖先生の直弟子が同格の立場で、何名もいて、しかもそれぞれが、違った言葉で沖ヨガの哲学と行法を伝えさせて頂いている組織は、類を見ないと思います。</p>
<h2>沖ヨガの内容の幅広さと深さを伝えよう</h2>
<p>私自身は沖先生の側に13年間、起居していた数名の内弟子の一人ですので、沖先生に接することがなかった人、あってもその密度や長さが一年程度と少ない人に比べたら、それと自分自身でも気づかないほど沢山の教えを頂いていました。しかし、現状の様に本来のヨガが少なくなり、沖ヨガも一体何なのか充分理解していないままに勝手に語られている現状を見た時に、少なからず驚くと共に、それも時代の趨勢で、またしかたがないことか？とも思っています。<br />それで、はっきりと沖ヨガとして打ち出して、できる限り幅広く深く沖先生の真の「沖ヨガ」「沖道」がどういうものであるのかを、お伝えさせていただかねばならない、という決意でいます。おこがましいこととも思いましたが、経験豊かな沖先生の弟子の人たちと共にこの仕事を成し遂げる気持ちで名称を変更させていただくことを、お伝えいたします。</p>
<h2>沖ヨガの原点は奉仕団体</h2>
<p>もう一つの重要な面は、「沖ヨガ」はヨガの普及団体ではなく、ヨガで身に着けた心身生活の開発法を「社会救済」に役立てる、奉仕団体が基礎の団体なのだ、ということです。もともと沖先生は戦後に自身の戦争体験の反省の中から、ユネスコの平和奉仕団の派遣員としてインドで奉仕行をされただけでなく、帰国後も、日本人として世界平和に貢献する為に「日本人国際平和奉仕団」を結成すると決意されて、その団員の人材育成にインド・中国・日本のヨガや伝統的な東洋の医療法などを活用する、ということで、沖ヨガ修道場を創られたのです。これが沖ヨガの団体の始まりです。ヨガ普及の意味においては、昭和40年代や50年代までは、心身の健康法としての応用面などでヨガ指導させて頂くことだけでも、社会貢献の意義があったと思うのですが、既に多数の営利企業や団体がヨガ普及に加わっているのが現状ですから、私達の団体としては、NPO法人を作ったわけでもありますから、その特色として、組織としてヨガの心での市民活動、社会貢献をしていくことが必要と思います。<br />沖ヨガの仲間を増やしてくことは必要ですが、沖先生が晩年に示された3つの会（求道実行会、沖ヨガファミリーの会、捧愛団）を実現して行くことが必要を思います。それで、仮称「特定非営利活動法人　沖ヨガ協会」は、様々な沖ヨガ愛好者が集い協力し合って、学びあい、後輩を育成し、また共益的に様々な活動を行う分野と、公益的活動として社会貢献するために、現代が抱える様々な社会問題に奉仕活動を通じて取り組む捧愛団の考えを実行して行きたく思います。会員の皆様にぜひ積極的に活動にご参加いただけることを期待しています。合掌</p>
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		<title>総合ヨガとは何か</title>
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		<pubDate>Fri, 09 Dec 2011 09:13:18 +0000</pubDate>
		<dc:creator>oishi</dc:creator>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>

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		<description><![CDATA[『沖ヨガ』の始まり 沖正弘先生（1921〜1985）は、戸籍上では、1921年生まれですが、実際は1919年生れと言われてました。特務機関員になる時に一旦戸籍を抹消したが、戦後に再度つくり直す時に、なんらかの間違いで19 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[
<h2>『沖ヨガ』の始まり</h2>
<p>沖正弘先生（1921〜1985）は、戸籍上では、1921年生まれですが、実際は1919年生れと言われてました。特務機関員になる時に一旦戸籍を抹消したが、戦後に再度つくり直す時に、なんらかの間違いで1921年になってしまったのでは？という話でした。まだ15才未満の頃に父の関係で家に来たオッタマ僧正から、ヨガということを初めて聞いた、とされています。ヨガの会はいつ頃からかは、一応戸籍に従えば、最初のヨガの会を創ったのは21才の時、1942(昭和17)年で、陸軍や海軍の将校の依頼で、インドで習ったヨガを教えることになり、「ヨガ研修会」を創ったのが最初のヨガの会、ということでした。その後、戦後引き上げて福井県の大野市に住んだ頃から、病人に依頼されて鍼灸指圧物療等の治療や病人指導の形でヨガ指導を行っています。その後、1951年にユネスコの奉仕活動でインドにわたり、様々な奉仕活動を行い1955年に帰国する迄、活動の合間にインド各地で30カ所のヨガ道場やヨガ指導者のもとに行って、ヨガを習い実践したと言われています。帰国後に1956年頃から神戸と東京でヨガ講習会を定例に行う様になった、とされています。そして、戦争体験とインドでの奉仕活動の体験から、日本人の手による平和国際平和奉仕団を組織して、1958年に日本ヨガ協会や自身の会のヨガ行法哲学研修会を設立し、活動が活発化したとされてます。その後の大きな契機は、三島に沖ヨガ修道場を1967年ごろから、建設を初め、創設したことでしょう。これ以後は、年中無休の沖ヨガ修道場は、いつ誰が来ても受け入れる、という形になりました。</p>
<h2>『沖ヨガ』、沖先生の講演や直接指導を受けた人の数</h2>
<p>沖先生が日本でヨガ団体として活動された昭和30年頃から60年頃迄の間に、道場外での講演や道場内等で直接に沖正弘先生を通じて沖ヨガに触れた人々の数は、のべ人数で40万人以上と思います。その根拠は、以下です。沖先生はほとんど休みがなかった人で、私が直接知っている昭和48年から60年の間で、例えば昭和55年ごろで、夏の講習のピークなど、多いときは200名が毎日滞在しています。最小人数の時でも、受講生は10名位はいました。それにスタッフはどんなに少なくても10名以上いました。講演会は多い時は一度に1000人を超える人が聞いています。それで平均人数をどんなに少なく見積もっても40名はあったとします。すると、１日平均40名が沖先生の話を聞く等の直接指導を受けたとして、40名×365日×30年＝438000名です。実際は昭和30年以前も活動されていますから、もっと多くなると思います。テレビや書物で知っているという数をいれると100倍以上となりましょう。</p>
<h2>国際的な活動</h2>
<p>海外ではOKI DOやOKIDO YOGAは日本のヨガとしてヨガ関係者はかなり知られています。台湾の「沖道瑜伽会」は、台湾最大のヨガ組織で社団法人です。沖先生のヨガ指導の足跡のある主な国々は、アメリカ、カナダ、イギリス、フランス、オランダ、イタリア、ベルギー、ドイツ、スイス、スウエーデン、オーストリア、イスラエル、南アフリカ、ブラジル、アルゼンチン、オーストラリア、台湾、韓国など、世界20カ国以上にわたって活動しています。</p>
<h2>沖ヨガと沖道</h2>
<p>私は1973年の沖ヨガ修道場冬期特別講習に初めて参加して、指導者養成班に入り、10日間初めて沖導師の指導を受けました。その頃は、「沖ヨガ」という名称はありましたが、「沖道」はまだありませんでした。沖先生自身は、既に述べて来た様に、「求道ヨガ」と一方で言いつつも、弟子が「沖ヨガ」という表現を使うことも認められてました。沖ヨガとは沖正弘先生がインド・中国・日本のYOGA（瑜伽）およびアジアの医療法、民間療法、中国の陰陽道など、伝統的精神文化の良い所を集めて、総合化・生活化しているのが特徴です。</p>
<p>私は1976年にアメリカにニューヨーク支部創設の目的で、渡米し半年間滞在しましたが、その前からボストンで支部活動を開始していた上嶋氏が、インドヨガの亜流でない独特のヨガという点や、日本のヨガというポイントをハッキリ打ち出すのに「道」をつけたら、という発想で「沖道（OKI-DO）」という名称はどうでしょうか？と沖先生に進言して、それを使うことになりました。この頃は、他に「禅ヨガ（Zen Yoga）」という名称も使っていました。「Zen」をつけると、インドヨガとは違うものという印象になるからです。</p>
<h2>『総合ヨガ』とは何をもって総合というか</h2>
<p>ヨガは本来、総合的・段階的・生活的ですが、現代社会を健康に生きる技術と捉えていますと、体操的部分や呼吸法の部分を取り出して、ヨガと提示することが多くなってしまいますが、これが社会に大きな誤解を招くことになります。禅も本来は、「ディアナ（禅定）」の状態を、生活全体で実現するものなので、座禅をしているときだけが、「禅」をしているのではありません。禅寺での清掃の様な、様々な作務の時間も、食事をつくることも、禅の行法なのです。</p>
<p>沖先生は「総合的でなければ、ヨガでない」という考えをもっていました。この総合的という語は、生活全体的、即ち、「生きている」ということに影響を与えている全て（例えば、心、体、食物、仕事、環境など）を合わせて、という意味で、逆に言うと部分的でない、集合的でない、とう意味がこもっています。本来の意味のホリスティック（身・氣・心・霊性などの全ての位相から＝全的）という意味が込められています。</p>
<p>本来のヨガの修行スタイルは、師匠の下に（修行道場）住み込んで、生活全般にわたり、「ヨガ（神＝真理と結ぶ）」を学び身につける、という方法です。精神修養を中心とした施設では、大体において、早朝には祈りの時間があります。お寺で言えば勤行として「読経行法（経典の内容の口唱すること、声を出し呼吸すること、を通じて内容を身につける）」したり、冥想・座禅したりするのです。身の回りの清掃も、料理をして食事を食べるのも「ヨガ」として行います。清掃行法、調理行法、正食行法（栄養摂取行法）、です。師匠から、ヨガ哲学の講話や経典の読解を通じて、ヨガの哲学を学ぶ時間（座学）があったり、ポーズや呼吸法、浄化法、冥想等の実習があります。</p>
<p>written by 龍村修</p>
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		<title>求道ヨガ</title>
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		<pubDate>Mon, 31 Oct 2011 08:59:41 +0000</pubDate>
		<dc:creator>oishi</dc:creator>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>

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		<description><![CDATA[エクササイズ化するヨガ 私は今社会に普及している様々なタイプのヨガを見ています。40年近く前と、今の普及しているヨガと何が違うかというと、現代の方が実に多様化しビジネス化し、専門化していて、また肉体中心で、どんどんエクサ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[
<h2>エクササイズ化するヨガ</h2>
<p>私は今社会に普及している様々なタイプのヨガを見ています。40年近く前と、今の普及しているヨガと何が違うかというと、現代の方が実に多様化しビジネス化し、専門化していて、また肉体中心で、どんどんエクサザイズ化しているということです。本来総合的であったヨガの一部分を強調したり、細分化して行く経緯は、他の分野と同じことです。伝統的なアジアの医学は基本的に人間をホリステイック（全的＝身・心・氣・霊等を一体と見る視野など）な視野で見て病気に対処していました。数十年前までの現代医学の医師も比較的全体を見ようとしていましたが、今は内科でも様々に分かれていて分野ごとに専門医がいます。ヨガも技術を中心にすると、沢山の技術がありますから、他と分ける為にその技術を特徴付けることが起こります。</p>
<h2>インド発の米国経由のヨガ</h2>
<p>私がヨガを始めた頃は、今で言う北インドのリシケシからでたヨガが中心でした。イギリスで医学を学んだシバナンダ師が、沢山の弟子を近代的な視野に照らしたヨガで育て、古典的なヨガを現代人の心と体と霊性の全体の健康に役立つものとして伝え、沢山の弟子を養成して世界に派遣しましたから、それが西欧世界に大きな影響を与えました。内容が総合的で精神的でしたから、様々なアサナの細かい動かし方の違いや呼吸の仕方に対して、細かいことは強調されず、霊的に人間性が高まることに力点が置かれていました。私が学んだ沖ヨガも、様々な要素が入っていますが、インドのヨガの系統としては、このリシケシや同じく近代的科学的効果を重視するロナワラのヨガ研究所の影響が見られます。これらのヨガの場合は、アサナを見てもそこに何か深い精神性の探求を感じさせられるものがあり、細かい技術はあまり重視されません。</p>
<p>これに対して、現代アメリカから流入してきたヨガは、多分に元はインド的ですが、米国流にアレンジされ、精神性を大幅に省いている場合が多いヨガとなっています。精神的ものをいれている、といってもそれは知識だけで多分に付け足しただけ、という感じで精神性が中心とは思えない内容です。またポーズの細かい技術、形ややり方や細かい筋肉の動きや、連続したポーズの場合はその順番まで、決められており、その形と動作を行うことをヨガにしています。システム化された内容なので、ある意味でわかりやすく、学びやすいと言えますが、精神的なヨガに触れたことのあるものから見れば、これだけをヨガと思われたら困るという内容です。</p>
<h2>技術中心はロボットを産む</h2>
<p>日本の場合は禅というヨガの伝統がありましたから、インド（天竺）から来たものは、精神的なものが中心である、と基本的に了解していたので、ヨガのアサナはそれ自体に精神的なものを含むものという理解があったと思います。それで、10数年前までは、ヨガは精神的なものなのだ、という社会的了解があったと思います。ところがこの技術中心のヨガは、技術中心だからどの先生から習っても大差がないし、精神的なものがほとんどなくても、やり方の技術を身につければ、それで指導員になれるのです。自分とほとんど同じ指導の仕方をする弟子の指導者を育てるヨガでは、指導者はほとんどロボットの様に同じ内容を指導します。その系統の場合、ヨガの実践で精神性と思われていることは、そのアサナを実践している時の痛みに耐えているとか、持続する肉体的な辛さに耐えている等のことなのです。ヨガは実践99％ということに間違いはありませんが、スタジオでのアサナの練習をヨガの実践としていて、それが99％というなら、これは偏っていると言わざるを得ません。総合的な実践でないと私は偏ると思っています。</p>
<h2>求道のヨガは、学びと気づきのヨガ</h2>
<p>　私は生徒にいつも、ヨガを学ぶ時に技術中心にするか、求道中心にするかは、最初の頃はあまり差が無くても、10年20年経つと大きな差が生まれて来ると言っています。それは自分の40年近いヨガの経験からそういえるのです。ヨガの技術を追い求めている人は、勉強していても同じ地平でより沢山の技術をもっただけで、質的な違いのある技術のレベルに達しないし、「智恵が生じる」というレベルに達せないのです。智恵が生じるとは、自然法則や生命法則、宇宙法則の智恵が次々と湧き出て来る状態のことです。釈尊の言葉とされる有名な「法句経（真理のことば＝ダンマパダ）」には、次の様に書かれています。<br />『実に<strong>心が統一された</strong>(=yoga)ならば、豊かな智恵が生じる。心が統一されないならば、豊かな智恵がほろびる。生ずることとほろびることのこの二種の道を知って、豊かな智恵が生ずるように、自己をととのえよ。』（岩波文庫「真理のことば」282句、中村元訳より）<br />本当にヨガを行う（心を統一する）と「豊かな智恵が生じる」、ということはとても大切な教えで、逆の智恵が生じない道＝ほろびる道とは、自然法則からずれた生き方になる、ということを教えています。</p>
<p>written by 龍村修</p>
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		<title>ヨガの基礎知識（Part3）</title>
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		<pubDate>Tue, 30 Aug 2011 02:30:20 +0000</pubDate>
		<dc:creator>oishi</dc:creator>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>

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		<description><![CDATA[ヨガの意味は、神と結ぶ ヨガの基本的な意味は、すなわち、「神（＝宇宙）と結ぶ」が本来の意味であることを述べました。それが、ヨガスートラが編簿された頃（AD4頃か）には、一般的な定義として、「ヨガとは心の働きの制御（岸本英 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[
<h2>ヨガの意味は、神と結ぶ</h2>
<p>ヨガの基本的な意味は、すなわち、「神（＝宇宙）と結ぶ」が本来の意味であることを述べました。それが、ヨガスートラが編簿された頃（AD4頃か）には、一般的な定義として、「ヨガとは心の働きの制御（岸本英夫訳）である」となります。原語では、「YOGAS  CHITTA  VRITTI  NIRODHAH」で、前回はこの翻訳のしかたにもニローダ(NIRODHA)を「制御（コントロール）」と訳する人もあり、また「止滅する」と訳する人もある、と述べました。従って原義に照らしても、体操の意味はありません。どんなものでも時代を経るとだんだん変化して行くものですが、原点を見つめないと、今のヨガの現象的なものを見ているだけでは、本質を取り違えてしまうのです。ヨガは「釈尊を悟りに導いたものはヨガである」と言われていることや、「シャカやジナは文献に残る歴史上最初期のヨガ行者」とされていることから、想像して欲しいのですが、体操をしてそういう境地にはなりえません。</p>
<p>ヨガの種類が増えて変遷してくる経過を、わかりやすく例えてみます。カメラというと今はデジタルカメラが主流なので、フイルムを使うカメラの場合は、わざわざ「フィルムカメラや銀塩カメラ」と言わねばならならなくなりました。10数年前迄は、カメラと言えばフィルムカメラしかなかったのですから、「カメラ」といえばそれがフィルムを使うカメラでした。最近になって初めてカメラを手にする若い人、なにも知らない人は、最初からデジタルカメラとフィルムカメラの２種類があるかのように思ってしまうことでしょう。それで良くわからない人は機能の分け方やメーカー別の分け方などをごちゃ混ぜにして全部同列に並べることも起こってきます。カメラを初めて買いたい人が、カメラ店に入って、デジタルカメラかフイルムカメラかニコンカメラかポラロイドカメラかどれを買いましょうか？と店員に尋ねる様なものです。ヨガも本来は「神と結ぶ」という行為（瞑想）を指したのですが、後から色々な技術や呼び方が増えて来て、混乱する様になったのです。</p>
<h2>準備の為のことをヨガと間違う</h2>
<p>　もう一つの誤解を招くことは、ヨガが入門から最終目的までを段階的に解説していて、しかもそれぞれの行法があるので、それらの一部を見たり体験した人が、それをヨガと思ってしまう人が結構いるということです。ヨガは八段階で説かれたり、十段階（沖正弘）だったり、六段階や四段階で説かれたりします。一般にヨガと思われているのは、最初のニ段階目や三段階目に数えられる「アサナ＝坐法、体位法」と呼ばれる段階です。これはヨガの本来の行法である「冥想」の準備にあたるわけですが、とてもそれが印象的にうつるので、それがヨガと思われてしまいがちです。水泳で言えば、本質は水の中で溺れずに自由に動けること、泳げることです。しかし、人間は最初から泳げるわけではなく、多くの人は、水に入る前に準備体操したり、プールの端につかまって、足をバタバタさせる練習をしたり、顔をつけて息を吐いたり止めたりして、顔を上げて息を吸ったりする練習を行います。そして水の中で、溺れずに自由に動ける（泳げる）様になるのです。バタ足の練習や呼吸の練習を「これが水泳です」、とは言えません。水泳（泳げる為）の一部ではあります。これと同様に多くの人がヨガと思っているのは、ヨガの一部ではありますが、ヨガではないのです。</p>
<p>written by 龍村修</p>
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		<title>ヨガの基礎知識（Part2）</title>
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		<pubDate>Thu, 18 Aug 2011 09:54:53 +0000</pubDate>
		<dc:creator>oishi</dc:creator>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>

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		<description><![CDATA[ヨガ（YOGA）の原義 　ヨガの語彙はもとは「結ぶ」の意味で、牛や馬に、鋤や車を「結びつける」という意味です。野原にいる馬や牛は、そのままなら勝手に好きな様に草を食べて動きまわり生きていて、人間の役にはたちません。しかし [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[
<h2>ヨガ（YOGA）の原義</h2>
<p>　ヨガの語彙はもとは「結ぶ」の意味で、牛や馬に、鋤や車を「結びつける」という意味です。野原にいる馬や牛は、そのままなら勝手に好きな様に草を食べて動きまわり生きていて、人間の役にはたちません。しかし、土を耕す鋤の道具や車を牛馬に結びつけて、コントロールすると、牛馬の力を使って様々な仕事をすることが出来るし、そこには野原で牛馬が生きているだけでは、決して出て来なかったかった価値が、生まれてきます。ヨガという語の意味には、その様に生命の力をコントロールする、という意味があります。これが、様々に広がりますが、神の力、宇宙のエネルギーと自分を結ぶ、身体と心を結ぶ、その力を活かしコントロールする等が基本です。また結ぶと調和がとれますから、統一、調和やバランスの意味、協力の意味、また結ばれると一体になるわけですから、一体化の意味になります。</p>
<p>　カタウパニシャッドという古典には、５頭の馬に繋いだ馬車を、車主が御者に命じて運転させて、目的地へ行く、という状況を使ってヨガの意味を説明しています。この時は「コントロールする」という意味がヨガとされているのです。権威とされているパタンジャリのヨガスートラの最初にヨガの定義が説かれており、ヨガとは心の働きを制御すること、と訳する場合と、止滅することと訳する場合とありますが、私は「制御」をとります。</p>
<h2>ヨガの発生は、いつ頃か？</h2>
<p>　古代インドのインダス川流域に発見されたインダス文明（BC2600〜BC1800＝およそ4000年前位？）の遺跡から出て来る印章や粘度板に刻まれた図象の中に、坐法をとって瞑想をしているらしいものがある関係で、その頃には既に始っていた？と推察されています。ヨガの本来の意味は、現代の多くの人が思っているある種の体操をさすのではなく、瞑想を意味します。従ってヨガをするとは、どこかが凝って来たり痛んで来たりしない姿勢、心が安定して来るキチンとした坐法をとって、目を内に向けて、呼吸を整えて、普通に感覚器官を外に向けていると決して感じたり、気づいたりすることのない事柄を、瞑想することなのです。それで宇宙・神からの啓示を受けたり、神と自己の関係に関する智恵を得たり、様々なことが分かって来るのです。実用的な面から推察しますと、神官達が集団の知りたい事柄（例いつ頃作物を植えるか？今年は水害はないか？好天に恵まれるか？）などについて、瞑想したと思われます。</p>
<p>written by 龍村修</p>
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		<title>ヨガの基礎知識</title>
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		<pubDate>Thu, 16 Jun 2011 07:37:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator>oishi</dc:creator>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>

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		<description><![CDATA[何故、体操的なことをするのか？ 現代人がいわゆる座禅の坐法の一つである結跏趺坐をとろうとすると、多くの人は最初からできないでしょう。仮にできたとしても、痛くて10分間も続けるのは困難でしょう。骨盤が安定して、背筋が伸びて [...]]]></description>
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<h2>何故、体操的なことをするのか？</h2>
<p>現代人がいわゆる座禅の坐法の一つである結跏趺坐をとろうとすると、多くの人は最初からできないでしょう。仮にできたとしても、痛くて10分間も続けるのは困難でしょう。骨盤が安定して、背筋が伸びて、筋肉がほぐれて、呼吸が楽に出来て、脳が安定して来る姿勢を、一定時間維持できる状態の身体にする為には、身体の歪みや縮みをとって、血行が悪くならない状態に、呼吸が楽にできる身体にする必要があります。その必要性が、今で言う様々な体操に見えるヨガのポーズを生み出したのです。<br />釈尊の頃(2500年前ごろ)は、ヨガのアサナ（坐法、ポーズ）は、日本語でいう正座、結跏趺坐、半跏趺坐、安定坐法、達人坐法など数個の坐法（ポーズ）しかありませんでした。それが、そうした目的で、時代を下るに従って徐々に増えていったものと思われます。13世紀の頃には数百になったともいわれています。また、瞑想が静的な形だけで行うものだけでなく、動的な状態でも達することができ、そこにも大きな価値を見いだしたのです。ハタヨガの「ハ」「タ」は「陰陽」の意味であり力・エネルギーコントロールのヨガの意味なのです。</p>
<h2>様々なヨガの道、ヨガの種類</h2>
<p>バガヴァッドギータと呼ばれるインドの古典(BC300-500?)には、カルマヨガ（奉仕道、行為のヨガ）、バクティーヨガ（信愛、祈り、信心の道）、ジュニアナヨガ（知識の道）、ラジャヨガ（王の道）など伝統的なヨガの道が説かれていますが、それらは富士山の頂上に至る登山道が色々あるのと同じで解脱や悟りに至る道の違いで、技術につけた名前の違いではないのです。この分類の仕方に８世紀以降に盛んになった、ハタヨガやクンダリーニヨガが後から加わって来ます。<br />ところが、こうした伝統的な分類の意味を理解せず、あたかも同列のようにアシュタンガヨガやハリウッドヨガとか、アイアンガーヨガとかの名前を加えていたりするようになりました。これは、国の名前と都市の名前と動物の名前を一緒に並べて、ヨガと呼んでいるようなものなので、知らない人達は混乱するのです。<br />例えば「アシュタンガ(８つの)ヨガ」は本来８つの階梯（支則）のヨガの意味で、パタンジャリの説いた八つの段階を指すものなのですが、近年は南インドのパンタビジョイスという個人がまとめた「連続ポーズの技術的ヨガ」を指す様に使われています。アイアンガーヨガや沖ヨガはそのヨガ道の開発者の名前（BKSアイアンガー、沖正弘）をつけているだけです。特に沖ヨガは、ハタヨガやラジャヨガやカルマヨガ、ジュニアナヨガ等の内容を含んで、総合的に説かれているものです。ハリウッドヨガ等は、ある企業がハリウッド俳優が行っている連続ポーズの技術の意味でつけているだけで、本来のヨガの分類にいれられない内容のようです。ヨガは本来ある種の技術につけられた名前ではないのですが（つまり統一や調和の状態を指す言葉）、技術につけられた名前であるかの様に使われてしまっているのです。</p>
<p>written by 龍村修</p>
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		<title>国際総合ヨガ協会の始まり（Part2）</title>
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		<pubDate>Wed, 20 Oct 2010 01:39:48 +0000</pubDate>
		<dc:creator>oishi</dc:creator>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>

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		<description><![CDATA[◯国際総合ヨガ協会の名称の意味沖正弘先生は、すでに1960年代~70年代当時までに、ヨガの組織として「日本ヨガ協会」、「国際ヨガ美療学会」、等の創設にかかわれていましたが、1980年の世界大会の前に、これからつくられる組 [...]]]></description>
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<p>◯国際総合ヨガ協会の名称の意味<a href="http://sougouyoga.com/wp-content/uploads/5b269fb4414e52560fdc5328ff1d5938.jpg" rel="lightbox[477]"><img class="size-medium wp-image-481 alignright" title="国際総合ヨガ世界大会2" src="http://sougouyoga.com/wp-content/uploads/5b269fb4414e52560fdc5328ff1d5938-300x213.jpg" alt="" width="300" height="213" /></a><br />沖正弘先生は、すでに1960年代~70年代当時までに、ヨガの組織として「日本ヨガ協会」、「国際ヨガ美療学会」、等の創設にかかわれていましたが、1980年の世界大会の前に、これからつくられる組織について、国際的であることと、総合的であること、また求道的、生活的であることを沖ヨガの特徴として、私達に教えられ、名称についても示唆されていました。<br />1976年に出版された「ヨガ総合健康法」という本の中でも、強調されていますが、<strong>「総合」</strong>という意味は一般に思われている内容と違い、独特の深さを加えられています。総合は「集合」ではない、単に〇〇科と△△科、部分を寄せ集めただけの総合病院や、アサナと呼吸法と瞑想を集めただけで総合といったりするのではなく、「生きている人間に必要な心身生活環境の全てこと」を有機的に結合してという意味、とされていました。実際、☓☓総合病院といっても、事実はいくつかの専門部を集めただけで、診療は相互に相補しない、あまり関係しない部分的な診療や治療で、名ばかりの総合病院がよくあるのです。<strong><br />「国際」</strong>という意味には、単に諸外国で活動する、日本国内だけでないという意味でなく、国際的に通じる「真実」という意味が込められています。私達は無自覚に「自国や地域の常識」という目で諸外国や諸地方の様々な慣習を見て批判したり、結果的に偏見といえる態度をとっていることがあります。現在でも偏った情報しか与えられない環境にいる人々のとる態度・行動を見ていると、よくわかります。それぞれの地域や国で習慣や常識とされているものは、世界的に通用する「真実」ではない場合が多いのです。その枠内に留まっていると、決して気づけない真実の世界があるのです。<br />沖先生は戦中から国際的に活動され政治体制も文化も違う諸外国を巡り、仏教、キリスト教、イスラム教他、世界各地域の文化や信仰、生活習慣を沢山経験して、その中でどこにいっても間違いがないこと、真実であることを求道され続けられ、沖ヨガの行法哲学の内容とされています。この国際総合ヨガの国際という語には日本人にありがちな島国的視野を超え、幅広い視野で、真実のことを、ということも込められていました。求道実行会に所有権のある「国際沖」という語は、商標登録されていますが、その意思の表れでもあります。</p>
<p>◯ヨガという語<br />沖先生は、ご自身の創りだされたヨガを、「求道ヨガ」と呼ばれ、日本とインドと中国のヨガ、禅、陰陽哲学、および東西の伝統的訓練法や医療法、悟道法、武道、芸道などを総合化したヨガ、と表現されています。そしてご自身のヨガのお手本（モデル）とされたヨガで悟りを得た人として、シャカ・ムニ・ブッダの総合ヨガをあげられ、直接的にヨガ精神を学んだ人として、ビルマ建国の父：オッタマ僧正とマハトマ・ガンジーをあげておられます。また、生活の全てを修養法・修行法・治病法等にするシステムが特徴とされています。また沖ヨガや沖道という表現は、弟子が言い始めた表現ですが、分かりやすいから、また沖正弘が責任をとる内容という意味で容認している、とされていました。<br />さてこれでわかるように、沖先生自身にとって「ヨガ」は、日本・中国・印度に伝わる伝統的な修養法・修行法・治病法などに共通している普遍的な叡智としての、哲学と行法であり、また人間性の能力開発・啓発法の技術と考え方であったことがよくわかります。また、ヨガを一つの技術、習い事の一つや健康法としてのみとらえては、ヨガの本質を見失うこととになるので、どのような講演会でも「ヨガとは」という語の確認を常に講演内容に含めておられ、ヨガの本質、中心となる行法は「冥想」とされていました。</p>
<p>◯ヨガ、ヨーガ、YOGA、瑜伽<br />ここで、もう一つヨガという語にまつわることを述べておきます。<br />「ヨガ」という表現を間違っている、「ヨーガ」が正しい、という人が時々いたりしますが、それはサンスクリットのYOGAを日本語で表記する時に「ヨーガ」と書きましょう、と明治の梵語学会での約束事から来ています。それは、単に学問上の約束事なのであり、「ヨーガ」が正しい、「ヨガ」は間違い、という言い方にすりかえるのは、間違いと気づかねばなりません。日本には「瑜伽」が奈良時代に佛教の渡来と同時に入って来ています。佛教の一部、修行法として紹介されたので、それ自身が教えと独立した内容のものとはされませんでした。「禅」もヨガのディヤナ（Dhyana）行法ですが、禅を「ゼン」と発音したら間違い、「ディアナ」が正しい、とは言わないでしょう。それは伝統的にそう発音してきたからでしょう。高野山の場合は弘法大師が嵯峨天皇から「瑜伽」修行の道場として下賜された山です。その発音は「ユガ」「ユゥガ」でした。インドでYoga道場に行きますと確かに「ヨーガ」と聞こえる発音の人もいますが、「ヨゥガ」と発音する人の方が現実的には多いように思います。「ヨーガ」、つまり「ヨ」を長く伸ばし、「ヨー」と発音する人をあまり見かけませんでした。明治の梵語学会では、佛教の立場で使ってきた「瑜伽」という語を、学問の立場では、従来の使い方と混同をさける為に「ヨーガ」と表記しましょう、ということになったのです。<br />ちなみに中村天風、沖正弘の系統の先生方は「ヨガ」と書く人が多く、佐保田鶴治系統の先生は「ヨーガ」と書いています。どちらでも間違いではないですが、国際総合ヨガは伝統に従って、「ヨガ」と書いています。<br />英語では[International Integrated Yoga]と書いています。インテグラル（総合：Integral）ではなく、インテグレイティド（総合化された）です。これもインテグラル・ヨガというグル―プがあるので、混同を避けるためと、より内容が表わされる、という意味で「総合化された」を使いました。</p>
<p>（続く）</p>
<p>written by 龍村修</p>
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		<title>国際総合ヨガ協会の始まり</title>
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		<pubDate>Fri, 17 Sep 2010 15:03:31 +0000</pubDate>
		<dc:creator>oishi</dc:creator>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>

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		<description><![CDATA[◯協会活動の始まりと沖先生沖正弘先生は、1950年代の後半、閑院の宮様を会長に迎えて、ヨガ愛好者を集めた日本最初のヨガの協会（日本ヨガ協会＝1958年創立）の創立に尽力されましたが、協会会員には、ヨガの普及活動の為にヨガ [...]]]></description>
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<p>◯協会活動の始まりと沖先生<br />沖正弘先生は、1950年代の後半、閑院の宮様を会長に迎えて、ヨガ愛好者を集めた日本最初のヨガの協会（日本ヨガ協会＝1958年創立）の創立に尽力されましたが、協会会員には、ヨガの普及活動の為にヨガを教える人達の協会にしたいという人達が多くでました。それで沖先生が本来目指していた「日本人国際平和奉仕団」の人材を育成するために心身能力を開発するヨガの協会として発展させたい、という沖先生の意見の違いから、創設後は日本ヨガ協会からは離れられました。それで、後に求道ヨガの修行を中心にし、国際的に平和運動、奉仕活動ができる人材の育成機関として、ヨガ修道場を創立されることにつながりました。<br /><br />◯国際的なヨガの大会に沖先生が招かれる<br />1970年代までは、ヨガのグループで国際的に活動する団体がなかったのですが、70年代に入り、60年代にロサンゼルス等で講習されていた時に出された沖先生の英語の本に出会った欧米人たちが日本に来るようになり始め、またヨガ指導者のグループからは、教えに来てほしいという要請が来るようになりました。そして、1974年には国際ヨガ指導者協会（＝[International  Yoga Teachers  Association  (I.Y.T.A)のブラジル大会に招かれ、78年には南アフリカ(1978年第5回）大会に招かれました。この南ア大会には、現在の私達の協会会員では、珠数泰夫先生や鳥井海仙先生が同行されました。龍村はこの時は道場で事務的なことも行っており、南ア行きの航空券の手配等もしましたが、60万円近く航空券がしたのを覚えています。<br /><br />◯日本でヨガの大会が行われることになる<a href="http://sougouyoga.com/wp-content/uploads/740acc0b2c3a8c6bf41de50521a4e63f.jpg" rel="lightbox[425]"><img class="size-medium wp-image-428 alignright" title="国際総合ヨガ世界大会" src="http://sougouyoga.com/wp-content/uploads/740acc0b2c3a8c6bf41de50521a4e63f.jpg" alt="国際総合ヨガ世界大会" width="300" height="207" /></a><br />そして、その南アフリカ大会の後に、次回は日本で開催してくれないか？という申し出があり、沖先生はそれを受けられ、沖ヨガ会員が国際的な視野を持つ良いチャンスだし、日本のヨガ普及にも役立つ、という観点から、会員に呼び掛けるように私達研修生に指示がありました。それで、沖ヨガ修道場から、沖ヨガの主たる会員に呼び掛けて会議をして、この申し出を受けることになりました。そしてこの世界大会を実施する団体として、1979年に国際総合ヨガ日本協会を設立することになり、創設会長に沖先生をお願いし、主たる協会会員、理事は沖ヨガの幹部会員がなりました。また、世界大会の会長として根本龍太郎衆議院議員にお願いし、実行委員長に珠数泰夫氏、事務局長に龍村修がつきました。協会設立の1年後、1980年春に第6回国際ヨガ指導者協会総会、第1回国際総合ヨガ世界大会の名称で、行うことが決まったのでした。</p>
<p>（続く）</p>
<p>written by 龍村修</p>
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